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司馬諸(現パロ)

古の詩人欧陽修は文章を練ることに適した場所三カ所を「三上」と呼んだ。すなわち布団、便所、馬の上――今で言えば電車やバスの中等――である。またこの三上は読書にも適した場所と言えるだろう。
司馬懿仲達は所謂「本の虫」である。例に漏れず、大手企業につとめる傍ら移動中の時間を使って読書に勤しんでいる。特に司馬懿が好んだのは出勤時のバスだった。
大勢が乗り込む駅のロータリーよりも先にあるバス停から乗り込む司馬懿には指定席ともいうべき椅子があった。そこに座って朝の読書に勤しむことが、司馬懿の日課だった。「酔わないのか?」と、その習慣を知った上司が、今にも吐きそうな顔色で質問してきたことがあった。しかし三半規管が丈夫なのか酔ったことは一度たりとてなかった。
その日も司馬懿はいつも通りバスへと乗り込んだ。目指すはいつもの席である。が、その日は驚愕の事態が起きていた。司馬懿の指定席に見慣れぬ男が座っていたのである。
(なんだ、こいつは‥)
朝から苦々しい気分になる。
しかもこいつもまた読書になんぞ勤しんでいるからさらに腹が立つ。その席で読書をするのはこの私だ、という意地がある分いらいらしてしまう。
空いている椅子は他にもあったが、座る気はなかった。どうせ駅で降りるだろう。今ここで別の席に座ったとして、駅でこの男が降りようものならまた別の誰かにこの椅子を取られてしまう。それならいっそ最初からここで待つべきだ。駅まではわずか三区間。あっという間の距離だ。
しかしそう思っていた予想に反し、奴は駅で降りなかった。あっという間に人波が押し寄せ、座っていたのではわからない強烈なすし詰め状態に陥った。いや、すしの方がもう少し余裕があるだろう。立っているとそれだけで他人の圧がかかり、朝からかなり疲れる。一方の奴は相変わらず椅子に座って涼しい顔をしているから腹が立つ。常ならば自分がそちら側だと考えると、なおのことむしゃくしゃしてくる。ふいにバスが嫌な軋みをあげて、隣の親父等の重みが圧し掛かってきた。普段であれば急ブレーキなんぞ気にするでなく本を読み続けているのだが、今日だけはイライラせずにはいられない。それもこれも全てはこの男のせいである。一人涼しい顔で読書に没頭するこの男がいけない。全くいつまで乗り続けるのだ、と司馬懿はじっと目の前の男を睨みつけた。男はそんな視線は一切気にしていないように、長い指でするりと次のページを捲った。
それから十分ほど経った頃だろうか。乗車人数は減り、空席も二つ三つ出始めてもまだ司馬懿は例の男の横に立ち続けていた。司馬懿の降りる駅まであと二駅と迫った時になって、ようやく男が読んでいた本を閉じた。裏表紙に見慣れないシールが貼ってあるのが目に入った。
(――――市立図書館?)
白い指が降車ボタンへと伸び、軽い電子音がバスに響いた。しばらく進んだ所でバスが緩やかに止まった。男は立ち上がると軽やかな足取りで降車ドアの方まで歩みを進めた。運賃を払いながら「ありがとうございました」と告げる。湖面に水が落ちるような穏やかな声だった。その男を降ろすと、バスは再び何事も無かったかのようにエンジン音をあげ、バス停から離れて行った。

翌日。朝、同じ時間のバスで再び司馬懿は例の男と出会った。男はやはり昨日と同じく、司馬懿の特等席に腰を下ろして本を読みふけっていた。驚いたことに開いている本は昨日とは違うものであった。しかしそれでも、男が昨日と同じく司馬懿の降りる一駅前で降車したことは変わらなかった。

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