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第三話 諸将 策を弄しチョコを貰おうと奮戦するも 孔明 気付かずに馬超とデートに出る

 雪の降る日が次第に減り、太陽が顔を覗かせる日が増えてきた。冬が過ぎ、春が来ようとしている。
しかし春到来の前にある一国の、一部諸将には、一人の漢として避けては通れぬ聖戦とも言うべき一大イベントが待ち受けていた。

 日がまだ南天に昇りきる前。孔明は珍しく凌統に呼ばれ、大都督部屋に来ていた。凌統は孔明を迎え入れると肝心の話は何処へやら、今年は雪が多いとか最近カラスがよくゴミを漁るとかとるに足らない世間話ばかり。
「それで凌統殿。お話というのは?」
単刀直入に本題を聞こうと孔明が切り出すと凌統はそれまでの面白おかしい少し緩い感じだった気をぐっと引き締め、曰く、

「諸葛亮さん、気を強くもって。」

と。言ったことはそれだけだった。それだけでは何のことかわからないと孔明は詳しい説明を願ったが、その後はまた庭に猫がよくやって来てそいつが子どもを産んでしまったと世間話に逆戻り。仕方なしと、もうこれ以上は孔明も強いて尋ねることはせずもてなされた茶を飲みきるまで世間話に付き合うことにした。

二月十四日の午前の出来事であった。



 趙雲は悩んでいた。勇ましい太い眉根を寄せ、片手を顎に当て、うんと唸っていた。その様はもしこの場に女官が幾人かいたとしたらキャーと黄色い声があがったことは間違いないだろう魅力に富んだものであった。が、ここには生憎女官はいなく、趙雲はひとり、はぁ、と大きな溜め息をひとつついた。
(今年は貰えるだろうか‥‥)
 そう、趙雲を悩ませているのは諸葛孔明ただひとり。そしてその人の愛のこもったチョコレートが貰えるや否や。趙雲の悩みの要はそこである。去年は逆チョコのお返しにホワイトデーに肉まんを貰った。それはそれで嬉しいのだが、やはり男としては好いた人からバレンタインデーにチョコレートが貰いたいではないか。ということで今年は何らかの手段を講じて孔明からチョコをゲットしようと悩みに悩んでいるのだが、さっぱり良い考えが浮かばない。

(何か良い手はないだろうか‥‥)
 再び考え込もうとしたその瞬間、涼やかな声が耳に響いた。

「趙雲殿、」

あ、と趙雲が振り向けばそこには3の衣装を着た想い人の孔明が。孔明は帽子から垂れる紐をそよそよと風に揺らしながら此方に近づいてきた。
「どうかなさったのですか?何か、ひどく悩んでいるようにお見受けしたのですが‥‥」
黒水晶のように輝く瞳を上目遣いに、桃色の唇が気付かわしげな言葉を放った。


 その次の瞬間、趙雲の頭から悩みは消えた。ひらめきとはこういうものを言うのだろう、つい先程まで毛ほども浮かばなかった策が、まるで花でも咲くように今この一瞬で満開に出来上がったのだ。
策も満開だが趙雲の心も晴れ渡った空のよう、趙雲は実に爽やかな笑みを浮かべ、孔明に向き直った。
「お気遣い感謝します。もう悩みは解決しましたのでご安心を」
「そうですか。それなら安心しました」
 瞳と口元に安堵の色が見えた。他人のこともまるで我が事のように孔明は頬を綻ばせた。
(あぁ、この人が笑うだけで春が来たようになる)
 趙雲はほう、と漏れそうになる溜め息を飲み込んだ。ここで溜め息でもつけばまたいらない心配をこの人にさせてしまうだろうと思ったからだ。

「そうだ、孔明殿」

 なかなか良い空気になったところで、趙雲はいよいよ策に乗り出した。

「実は孔明殿から頂きたいものがあるのですが」

 すると「え」という困惑の声がした。ああ、やはり今日という日の自覚は無いのか。と趙雲は心の奥にちょっとだけ悲しい想いを抱いた。やはり自分の片恋なのだとこういう時に思い知らされる。
「ごめんなさい趙雲殿。私は何を差し上げればよろしいのでしょうか?」
黒の瞳が困惑に揺れ、此方を見つめてきた。普段あまり困らない人だけに、困った姿がひどく可愛らしいともう少し意地悪をしてやろうかと思ったが、それもかわいそうな気がしたのですぐにヒントを出してあげた。

「『ち』で始まって『と』で終わるものです」

 本当にわかりやすいヒント。そう、答えはチョコレート。あまりにも見えすいた手だとは承知している。しかしその柔らかな桃の花のような唇で、そのなめらかな赤い舌で、その答えを言ってほしい。そして二人でその甘いものを味わいたいのだ。趙雲がそう念じているとうんと唸ってまるで曇り空のようだった孔明がパッと晴れ渡った表情になった。
「わかりました。趙雲殿が何が欲しいのか、」
どきりと心臓が大きく脈打った。気分が高揚し、全身が一気に熱くなってきた。そして可憐な唇がつむいだ言葉は、


「『趙雲殿用のプリント』ですね?ごめんなさい、すっかり忘れていました」


は?と趙雲は拍子抜けしそうになった。身体中の熱も何だかすぅっと抜けてしまったような気がする。あれ?孔明殿は今何と?あれ?たしかチョコレー‥
「先日の朝議に欠席した分の『趙雲殿用のプリント』をお渡ししていませんでしたね」
残念ながら今は持っていないので今日中にはお届けいたしますね、と孔明はにこにこと言った。
「‥ええ‥‥よ、よろしく、お願い、します‥‥」
 最早趙雲にはそれだけ言うのが精一杯だった。


まさか、『ち』で始まって『と』で終わるものでそんなものがあったとは、と立ち去る孔明の後ろで趙雲は白い灰になった。


司馬懿は悩んでいた。
 悩みとは勿論今日という日と密かな想い人孔明のこと。やはり男としてこの日は好いた人からチョコレートを貰いたいものではないか。
 色恋に疎い孔明はおそらくこんな行事には無関心だろう。さてそんな人から如何にして貰うか。それとなく諭すか。しかし例えば「『ち』で始まって『と』で終わるものをくれ」と言えば、いくら関心が無いからと言っても市井のバレンタインデーへの騒ぎっぷりからあっさりと「チョコレート」という「まさにこの日」のような語にたどり着いてしまうだろう。そんな要求の仕方はあまりにストレートすぎ、私という一個の賢才が孔明というやはり非凡な才の人に出すヒントにしてはあまりに稚拙と思われるだろう(むしろそんなことしか思いつかないのはただの凡愚である)。

ではどうしたものか。

ふむと景色でも眺めながら少し考えようとしていた所へ、

「おや、司馬懿殿。」

「!!こ、孔明‥!!!」

 あらぬ方向から声がかけられた。心臓を鷲掴みにされるとはこういうことを言うのだろう。今まさに心に思っていた人がここに現れて、司馬懿の心臓は早鐘よりも早く打ち鳴らされている。しかしそんな司馬懿の心情は知らず、孔明は華のように美しい微笑みを堪え「珍しい所で会いますね」と一言。

 司馬懿と孔明が今いる場所は城内のとある回廊。そこは曹丕が様々な地域から手にいれてきた草木が溢れ、年間を問わず何らかの花が開いている華やかな庭。
普段司馬懿はこんな所へはやって来ない。こんな、他の男が孔明のために作った所になど、すすんで訪れたい場所ではないというのが司馬懿の心情である。

 しかし今日ここに来たのは孔明がよくここを訪れるからで、同じ場所に立てば何か孔明に合った良い思案でも浮かぶのではないかと思いわざわざ足を運んだのだが、まさかこんなに早々と本人に出会ってしまうとは。
誤算だったと司馬懿は思いきり眉間に深いしわを寄せた。
するとそれを見た孔明は「折角の所、お邪魔して申し訳ありませんでした」と何を思ったかそそくさとその場から立ち去ろうとした。

「待て!」

 ぐっと力を込めて司馬懿は行きかけた孔明の薄い肩を掴んだ。思っていたよりも早々と出会ってしまったが、折角ふたりきりのところを行かせてなるものか、と司馬懿は孔明を引き留めた。

「―――司馬懿殿?」

 ふわりと孔明が振り返った。その瞬間風に乗って甘い、孔明の匂いが鼻孔に届いた。庭の花よりもはるかに芳しく、余程魅惑的な香りで、その香りに酔いしれてしまいそう。いや、事実司馬懿は既に孔明に酔ってしまっていただろう。

「‥‥‥孔明、私に渡すものがあるのではないか?」
例えば黒っぽくて甘い、とそこまで言ったところで司馬懿はハッとした。自分は何を口走っているのか。その話は、それは今日中にはしなければならない話だが、何も適当な思案も無いまま口にせずとも、それも「黒っぽくて甘い」だなどと、「『ち』で始まって『と』で終わる」と同じくらいストレートではないか!
自分の言葉が信じられないと司馬懿は戦々恐々としていたが、口に出してしまった言葉はどうしたところでもう無かったことにはならないのだ。孔明は手を顎にあて「黒っぽくて甘いものですか」と先程の司馬懿の言葉をゆっくりと反芻している。
すると急に今度は孔明がハッとした顔をしたかと思うと「どうして司馬懿殿がご存知なのですか?」と恐る恐る聞いてくる。もうヤケになった司馬懿は「私に渡さないつもりだったとは言わせぬぞ」とそんなセリフを吐いた。すると「‥‥こうなっては仕方ありませんね」と溜め息をひとつついた孔明はそのしなやかな右手を左手の袖に入れ、おもむろに袖に入れていた白い包みを司馬懿に差し出した。


「―――凌統殿からいただいたカリントウです。本当に、どうしてご存知だったんですか?」


黒っぽくて甘いもの。そうそれは少し前に孔明が訪れた大都督部屋で凌統がお茶請けに出してきたカリントウ。あんまり美味しかったものだから少し凌統に分けてもらった物だ。

「半分だけですからね」

と恥ずかしいのか頬をほんのり赤らめる孔明が非常に可愛らしく見えるが、渡されたものはカリントウ。そう、カリントウ。確かに黒っぽくて甘いものではあるがチョコレートとは似ても似つかないカリントウ。
「美味しく食べて下さいね」と言い残し、舞い散る花弁のように孔明はひらひらと司馬懿を残して何処かへ去ってしまった。残された司馬懿は誰もいない回廊で「馬鹿めが!!!」とひとり叫ばずにはいられなかった。その言葉は安直なセリフでチョコレートを示唆した自分へのものなのか、それともバレンタインという日にカリントウを渡していった孔明へなのか、どちらへ向けたものなのかはわからなかった。


曹丕は悩んでいなかった。
今日はバレンタインデー。今年こそ愛しい孔明からチョコを貰うぞと意気揚々としていた。何せ一週間も前からこういうことには疎い孔明にもわかりやすいようにちゃんとヒントを用意してきたところは我ながらなんと賢いことだろうと曹丕はひとり自負している。

 さて今問題なのは肝心の孔明が見つからない点だけである。というわけで曹丕は孔明は何処だ何処だと城中を徘徊しているのである。カツンカツンとひとり分の靴音が大きく響くのが少し寂しい。
と、曲がり角まで行くとあたりが妙に騒がしくなった。曲がるのは控え、あえてそこから角の先を覗き見てみた。


「諸葛亮先生!私からの気持ちです!」
手作りチョコです!どうぞお納め下さい!とハキハキとした陸遜の声がやたらと煩い。しかし孔明がいるようだと気分が少し高揚してきたが、なんともうひとり、孔明以外の声が聞こえてきた。
「やめておけ孔明。陸遜のことだからきっと媚薬か何か入ってるぞ」
そう言うのは周瑜の声である。「え!」という孔明の可愛らしい困惑した声があがった。「失敬な!」と声高に陸遜は言うものの、「何か入ってるんですか?」と不安げな孔明に聞かれれば「媚薬がたっぷり入ってます!」とやたらとイイ笑顔で答えてしまっているところが阿呆にしか見えない。案の定どん引いた孔明が紙みたいな顔色になって(なんて可哀想なんだ)、「お気持ちだけいただきます。ありがとうございます」と心にもないことを言っている。

ようやく私の出番かと曹丕が角から颯爽と登場しようとしたが今度は周瑜がでしゃばった。


「ところで孔明、チョコバナナは好きかね?」


 曹丕と陸遜にピシリと何か亀裂が入るような音がした。一瞬で周瑜の目論んでいることが知れた曹丕と陸遜はアイツは何てことをしようとしているんだと、総身をわなわなと怒りに震わせた。しかしチョコバナナをそのままストレートにチョコバナナと受け止めた孔明は「はい。好きですよ」と無邪気な笑顔で答える。その答えにすっかり興奮した周瑜であったが次の孔明の言葉に思わず我が耳を疑った。


「毎年お祭りの時期になると我が君が買って下さいます」


いつもお店で一番大きなモノを買って下さるので、少し食べるのが大変なんですよ。何せ口にいっぱいいっぱいの大きさなので人前でそんな大きな口を開いてバナナにかぶりつくなんて恥ずかしくて。でも美味しいから年甲斐もなくつい夢中で食べてしまって、それが余計に恥ずかしくて。と、頬をポッと赤らめ孔明は言う。


卑猥!何と卑猥なことだろう!と周瑜は孔明の言葉を聞き、曹丕め何てことやってるんだとも思ったがそれよりも何よりも孔明が大きなチョコバナナを美味しそうに咥えるところを想像するだに思わず鼻血を噴かんばかりに大興奮してしまった。しかしそれは陸遜も同じようで、いかにも危ない目で孔明を舐めるように眺めている。
一方の曹丕は「何でその話しちゃったかな‥」と曲がり角に隠れてひとりがっくりしている。


「では孔明、殿が君にあげたものよりももっと良いチョコバナナ持っているのだが、食べたいかい?」

孔明の瞳が期待で輝いた。しかし、「ですが恥ずかしいです」と頬をほんのり朱色に染めて、伏し目がちに桃の華のような唇が呟いた。
 ああ、何と可愛らしい‥。と周瑜は自分の胸がきゅんとしたのを感じた。そしてあの愛らしい唇がこれからすることを思うと、思わず鼻の下が伸びそうになってしまう。しかし今そんな醜態を晒すわけにはいかず、周瑜は克己の精神で最後の誘い文句を呟いた。

「大丈夫だよ、孔明。私の部屋で食べれば誰にも見られないよ」

 さりげなくその絹のようにすべらかな頬に手を添えれば、孔明の反応もなかなかのもの。濡れた瞳が此方を見遣る。そして今しもその可憐な唇が返答しようとした瞬間、


「何やら楽しそうな話だな、周瑜」


 曹丕が曲がり角から現れた。その顔はたっぷりの不機嫌で彩られ、善人をたばかる悪人を懲らしめにきた不動明王のようである。

 しかしそこは長いことこの君主と同じ人を取り合っているだけはあって、例えば陸遜あたりであったらすぐさま孔明から手を離しそうであるが、一向に孔明を手放そうとしない。そんな様を見せられイラッとした曹丕が「孔明、此方へおいで」と言えば君主の命令とあらばと孔明はあっさりそちらへ行ってしまった。悔しそうに歯噛みする周瑜に曹丕は勝ち誇った笑みを見せつけた。



「何か御用ですか?」

 ふわりとした笑顔が曹丕に問いかけた。フッと曹丕はキザっぽく笑うと「私の用ではない」と、
「お前が私に何か用があるはずだろう、孔明」
と言う。何とも自信満々な発言に聞こえるが、これくらいの人物でなければ中華大陸を制圧しようとは思うまい。さてそれを聞いた孔明はといえば、手を顎に、小首をかしげて悩んでいる。
 愛らしい様よ、と曹丕は熱い視線を送りながら「私に渡すものがあるだろう」と先を促す。すると孔明は今日はやたらとこういう話が多いなァと思いながらも、渡すものとは何だろうと頭をひねらせた。治水工事の書類は先日出したし、農作物の収穫高の記録も一昨日だしたし、まさか我が君もカリントウを狙っているのか?と悶々と考えているところを見て、曹丕は目を煌めかせた。今こそ!あらかじめ考えておいたヒントを出す時だ!


「ヒントをやろう。『ち』で始まって『こ』で終わる、固かったり軟らかかったりする三文字のものだ」


ここまで言えばわかるだろう!さぁ、私に愛のこもったチョコを渡すのだ‥!

曹丕はそう思った。


孔明は先程の曹丕の言葉を口の中でゆっくりと繰り返した。『ち』で始まって『こ』で‥三文字の‥‥。


 ハッと孔明が口を押さえた。そしてみるみる顔に血を上らせ、すっかり頬を林檎のように真っ赤にして曹丕の方を泣きそうな目で見つめた。
思っていたものと随分違う反応だが、そんな顔もカワイイと曹丕が思っていると何か言おうと孔明が口を開きかけた。
「‥‥‥ッ!」
 しかしその口は言葉を発することは無く、そのまま曹丕の腕からすり抜け、「孔明!」と呼び止める周瑜も振り切って回廊から走り去ってしまった。きらりと何だか光るものが目元から零れた気がした。
「‥‥どうしたんだ、孔明」
 何がどうしたのかさっぱりわからない曹丕が呆然と呟くと脇にいた周瑜が「君主とはいえ孔明に何てことを言わせようとするんだ!!」と軽蔑の眼差しで曹丕を思いきり睨んできた。
「ハ‥?」
 それでも全く気づいていない曹丕に対し周瑜は憎々しげに「自分の股間に手をあてて考えてみろ!」と言い放った。
股間とは何という言いぐさだろうと曹丕は思ったが言われた通り自らの股間に手を当ててみた。


そう、そこにはまさに「『ち』で始まって『こ』で終わる、固かったり軟らかかったりする三文字のもの」があったのだ。


「‥‥あぁ」


 そういうことだったのか、と曹丕は嘆息した。それは孔明に悪いことをしたと股間を触る手をそのままに高く天を見上げた。あとできちんと謝ろう。そうは思うものも、もうひとつ思うことがあって、おもむろに、

「でも孔明もこういうこと考えるんだな」

 真っ先に思いつかねばあんな反応はせんぞ、と呟いた。夜のことに関しては無垢で純真で全く何も知らなそうな可憐な顔してこれは案外‥‥。と何やらイイ予感に曹丕はニヤリとした笑みを抑えきれない。先程まで烈火の如く怒り散らしていた周瑜も落ち着いたもので、「‥‥まァ、そうだな」と同じく頬を染めてあられもない孔明を妄想するのであった。


一方の孔明は急にとんでもないことを言い出した君主から少しでも遠ざかろうと涙ながらに回廊をひた走りに走っていた。あんなことを言う人だとは思っていなかった。と転職も考えながら逃げていた。そしてあまりになりふり構わず走っていたせいか曲がり角を曲がろうとしたところで、全力で誰かにぶつかってしまった。

「あっ‥!」

倒れる、と思い身構えたが何故か倒れることは無く、ただ腕をぐっと掴まれてる感覚がするだけだった。恐る恐る前を見ると、ひとりの武人が難しそうな顔をして孔明が倒れないようその腕を引っ張っているのが見えた。


「普段、城内は走るなと口すっぱく言ってるのはどこの誰だったか」


 そう、それは西涼の錦と呼ばれる、かつて一度の戦で敵将全員を捕縛したという逸話を持つ、建国初期から仕える曹丕の国一番の猛将。

「馬超殿、」

「ケガは無いな」

 孔明とぶつかっておきながら全く揺らぐことない強靭な身体と、むしろ倒れそうな孔明を助ける瞬発力はさすが一級の武人というところか。
「お陰さまで。ありがとうございます」
「礼には及ばん。当然のことをしただけだ」
そう言うと馬超は孔明の腕を放し、掴んだため皺が寄ってしまった柔らかな絹地を直してやった。
「‥‥泣いてるのか?」
「え、‥いえ、何でもありません」
そう言われて初めて孔明は己の目元がうっすらと湿っていることに気付いた。その答えに馬超は「そうか」と、それ以上詮索することはしなかった。何かあったことは誰が見ても明らかだったが、本人が喋りたくないのなら無理に聞き出すことも無かろう。というのがぶっきらぼうな馬超なりの優しさだった。


と、ここでふいに孔明が口を開いた。

「あの、馬超殿はどうして此処に?」

 馬超は普段、暇さえあれば鍛錬場か馬小屋にばかりいる男である。それがまさかこんな書庫に近いような回廊で出会うとは思っていなかった。何せ鍛錬場や馬小屋とは真反対の方角である。

「お前を探してたからだ」

いるならどうせ私室か書庫だろうと思っていたんだが、まさか廊下でぶつかるとはなと笑みまじりで馬超は言う。その微笑みにからかいが入っているのを見てとって孔明は少し恥ずかしくなったが、同時に疑問が浮かんできた。何故馬超は自分を探していたのか?

「今日はバレンタインだ。」

チョコをくれ。と実にストレートに馬超は告げた。飾りっ気のないそのままの要求。
すると孔明はその言葉で今日一連の皆の不思議な行動の全てに合点がいった。誰も彼もバレンタインだからチョコが欲しいと婉曲に表現していただけだったのだと、今ようやく気付いたのだ(だから陸遜も周瑜も急にチョコを渡そうとしたのかと納得がいった)。
 そして孔明がハッとしたのは曹丕のことである。先程のアレは暗にチョコを示したものだったろうに自分は何という勘違いをしたのかと、顔から火が出そうなほど恥ずかしかしく、後できちんと謝ろうと思った。

「で、くれるのか?くれぬのか?」

 馬超の言葉が孔明を考えから引き戻した。「甘いものは嫌いだがお前からのならきちんと食べる」と馬超は言う。馬超の言に不思議なものだと孔明は思った。甘いものが嫌いだというのにどうしてわざわざチョコを要求するのか。孔明にはそこのところがよくわからなかった。

 結論を急かす馬超に孔明は「残念ながら、今チョコを持っていないのです。」と告げた。その言に馬超は悔しそうな顔をしたが、孔明の言葉はまだ続いていた。


「なので、今から一緒に求めに行きませんか?」


 思いもよらなかった孔明からの提案。予想だにしなかった返答に馬超は少し面食らったが、すぐに短い肯定の返事を返した。
「じゃあ市場まで行くか。馬で行くか?」
「いえ。ゆっくり歩いていきましょう」

薫るような笑みで、風のような足取りで孔明は歩いた。馬超もそれに合わせるように逞しい身体を横に並べた。

「馬超殿のは、お酒が入っている方がイイですか?」

「‥‥俺『のは』とはどういうことだ」

「我が君の分や趙雲殿達の分も一緒に求めようと思いまして」


 孔明の言葉になんだ俺だけにではないのかと馬超は口をへの字に曲げた。が、すぐにまぁ折角のデートなのだから可愛い人のワガママのひとつやふたつくらいは黙って聞いてやろうと思い直した。



 この後、孔明はチョコを求めていた諸将にそれを渡し、彼らはめでたく孔明のチョコを得ることができた。また曹丕への誤解も全部キレイにすっぱり解け、きちんと和解が完了した。
が、一方で孔明が馬超とバレンタインデートしたという話が城中をてんやわんやさせもした。
 さて、念願の孔明のチョコをゲットした諸将はホワイトデーには一体何をお返しとして孔明に渡すのか。それはまた次の小話で。




《終》

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